昭和43年8月27日 夜の御理解

我情我欲を離れるとか、我身は神徳の中に生かされてあるということはどういうことであろうか。我情我欲を話した一日と言うか。又は本当に御神徳の中に生きておるんだなという喜びを感じさせて頂ける一日はどういう一日であろうか。今日の私の一日を聞いて頂きたい。3時20分ぐらいに目覚ましのおかげを頂いて、3時半には起床のおかげを頂いてです。もう3時25分ぐらいはもう控えに出てきておりました。天地の逢拝をさして頂いて4時の御記念のいわゆる私の御用を頂くまでのその25分の間のありがたさは言葉では言い表せない程のありがたさである。4時の御祈念を奉仕させて頂く。5時ちょっと前に終わります。5時から、苦先生、今日は奉仕日で末永先生がおかげを頂きました。丁度5時半に終わります。それから、御理解、それから、次々とお取り次ぎがまあ9時頃まで続きます。10時頃だったでしょうか。もう途端にここへ座っておって眠とうて眠とうてたまらん。それでも金光様金光様と唱えさせて頂きながら、一心におすがりさせて頂いておったら、昨日豊美さんが光昭のことちょっと話をしてくれたことをちょっと頭に浮かんだ。このごろ、光昭さんが眠らんように眠らんようにと言うてあの言われるから、心がけとるのでしょう。昨日、あの人の着物をたたましてもらいよったら、奉仕着の胸のところに針が一本さしてあった。これで自分が眠たい時にはあの人が自分で針をちょっとさしよるですよ。豊美さんの話を思い出した途端に何か心のそこから、ありがたいものが湧いて来た。もう眠たいのがどこか飛んでいくようにありがたかった。それから、ありがたい、ありがたいでありがたいお取り次ぎをさせて頂いてから、もう昼に久高先生と交代するときには、ここを変わるのが惜しいぐらいの感じで自分の昼間での奉仕を終わらして頂いた。丁度、福岡の高永先生がお参りになっておりましたから、一緒にお食事をさせて頂いてそれから、一時頃からテレビを一時間あまり見せて頂いた。もうテレビを見よったら、また、眠気がついて来ましたから、控えに戻って来ました。二時半頃でしたかね。机の上をちょっと見よったら、返事をかかなければならない手紙があることに気づかせてもらって2~30分手紙をかかしてもらった。そしたら、家内が入って参りましたから、「今何時か」と申しましたら、「3時ちょっと過ぎでしょう」とこういう。もう私は4時ぐらいになるかと思っておった。まだ、3時ちょっと過ぎだというから、「そんなら、14分~5分でもいいから、足をもんでくれ」と言って足をもんでもらって3時半にはもうここへ着かせてもらっておる。4時の御祈念を終わらせてもらって丁度3時半から、4時の奉仕の間に若先生達が伊万里に行っておりました。一行が5~6人帰って参りました。それから、4時の御祈念させてもらい、それから、4時半には御祈念を終わらしてもろうて昼からのお話の御修業をさせてもろうて、控えに下った。今、若先生の連れが、いっぱい私の部屋が涼しいからと言うのでそこでお茶を頂いておったでしょう。もう座蒲団はみだれっぱなし。お茶を頂いたとこもそのままであるから、それを整頓させて頂いて、それから、お風呂を頂いた。もう5時を回っておったでしょう。それから、父が私の別室の方、あちらが冷えておりますから、あちらでこの頃昼、暑い盛りを過ごします。あちらでちょっとの昼の午睡を父が致しますから、それで風呂の中から、「おじいちゃんにお風呂を言うていらっしゃい」「真だ、休んでおられますよ」昼に又、あんまり、長く休まれると晩が休真連。起こしてでもいいから、お風呂に入りんなさいというてくれ」というたら、起きとったんでしょう。すぐ、お風呂に参りました。お風呂を済ませて頂いてから、それから、私は自分の部屋に帰りました。もう父の寝間と私の寝間に引き換えてあった。そこへ、愛子が夕食を運んでくれた。夕食を愛子と二人で信心話を本当にさせて頂きながら、ありがたいねと愛子さんといいながら、夕食を終わらせて頂いてぐっすり2時間ばかり休ませて頂いたでしょうか。8時半に目覚ましのおかげを頂いて家内が入ってきた。奉仕の手伝いをさせてもらいながら、丁度鏡台の前に座っておりましたから、化粧水を少しもらってちょっとおしゃれの気分も味合わせてもらってここへ着かせてもらったのが9時であった。そして、只今の御祈念を終わって只今であります。私は思うのですけれどね。本当にね。我情我欲を離れるとか、我身は神徳の中に生かされてあるとか、いうのは、そういう日々ではなかろうかと思うのです。只そのときそのときをですね。実意を込めてその現場現場をありがたく頂いて行くということ。その例えば、一日の平凡な私のいわば、一日これと取り上げて特別なことはないけれども、私の一日を聞いてくださって何とはなしに一日がですね。実にリズミカルである。もう本当に一つのリズムに合わせて生活しておるようである。自分でもそれを感じていわゆる、我身は神徳の中に生かされてあると言うことを何時も実感させて頂いておる。それは歯を食いしばったように何時もはげしいというわけではない。テレビもみておれば、ちょっと休んでもおりゃあ、足も揉んでもらっておる。手紙も書かせてもらっておる。そういう中にです。一日が繰り返されておる。それは又、場合にはそれこそ、激しいもうそれこそ目の回る様に忙しい時があるかもしれない。けれども、その時とても同じこと、その中に又例えば、一日の中にでも本当に極寒の寒いおりにです。ああ、寒い、、寒いとばかりに言うておれんと言うて一生懸命働かして頂いておる中に何と話に体が温まってくるような物を今日一日の中に皆さん感じてくださっただろうと思うというと又、春野野辺に散歩でも出ておる。口笛でも吹きながら、楽しく散歩でしておるような軽快なところも感じられる。自分でもそれを感じる。我身は神徳の中に生かされてあると言うことを実感させて頂くということは、その時その時を私はおろそかにせずですね。実意を持って何時も姿勢を神様の方に向けての生活の年だと私は思うのです。そこに我身が神徳の中に生かされていると言う喜びがです。一つのリズムの中にです。それが、織りなされてくるように現れてくる。これからでも、たとえば、10時下がらして頂いたら、おそらく久富さんがお茶を入れてくださるだろう。11時過ぎたら、また、就寝のおかげを頂くだろう。一日のことをそれこそ、ありがたい、ありがたいをこめて睡眠につかして頂くことが出来るであろうということですけれども、そこにはですね。やはり、そこには精進と言うものが何時もなされておる。これは、私の仕事の現場と言うところにはある意味合いでは厳しいところも感じるけれどもね。そこんところはいい加減にしてはいけません。けれども、たとえば、それ以外の一日の中には、例えば、お風呂の楽しみがある。テレビを見る面白さがある。足をもんでもらう快さがある。そういう中にですね。私は何かありがたい物、例えば、私の使わせて頂いたおる控えである。私の居室でも実にフルに十分使わせて頂いておる感じ一つもごっちゃにならない。そういう私はあのすばらしいタイミングを願っておるわけではないけれども、そういうすばらしいタイミングの中に例えば、部屋一つでも使わせて頂いておる。皆さん自分が頂いている御用にね。本当に一つの生き甲斐と言うものを感じるものがなからなければ、そういうようなものが生まれてこんのかもしんれん。暇さえあれば、休もう、楽をしよう。楽をしようという中に事実、果たしてはあ、今日も一日おかげを頂いた様なリズミカルな一日が頂けるだろうか。我情我欲を離れてということは、その時その時のです。自分の思いに動かずにです。いわば、神様の思いで立ち動き立ち働かせて頂いておるということなんです。そこに我身は神徳の中に生かされておるという喜びがね、頂けるということを日々実感致します。私は日々が一つの場合にはそれこそ激しいリズムにのって一日過ごすこともあるでしょう。又、ある時にはゆっくりゆっくりそれこそのどかなまでにゆっくりした一日のリズムにのっての一日もあるでしょう。そういう私は一日一日が積み重ねていくということがです。私は信心生活が積み重ねていくのであり、いよいよ一年一年ありがとうなって行くというのは、そういう生活からしか生まれて来るのではないだろうかというふうに思うのです。どうでしょうか。皆さんの一日に一つのリズム感がでているのであろうか。一日を締め括った時におかげを頂いてありがたいということになっているだろうか、でないならば、皆さんがですね。生活の現場においてです。その時その時をです。私はおろそかに例えば、言うならば、私は夜の御祈念を終わって下がらしてもらって、それは部屋がいっぱい散らかっておった。こんなに散らかってとしか、私は不平不足を言うておったら、そこから、もうリズムが変わってくる。もう、それが楽しいまでに座蒲団を片づけさしてもらう。湯飲みを一つのところへきれいに集めさせて頂くというなかにも一つもそれがないのです。どうでも皆さん日々がね。もう本当にリズミカルな一日でありたい。リズムにのった一日でありたい。そこには眠いこともありゃあ、苦しいこともある。けれども、そこを辛抱させて頂く向こうに私はいわば、ありがたいものがある。いうならば、本当にもう歯をくいしばらならんところもあるけれども、そこを愚かにしたんでは、信心辛抱にならん。次のありがたいものにも続いていくことは出来ない。そこを辛抱しなれば、けれども、それはほんの30分か、一日の中、一時間足らずの時間でしょうが、あとはありがたいと言うものになっておる。そこんところ、どこもどこもです。けれども、大事にしなければならないとそうすると、平凡な一日です。そういうけれども、平凡でない一日としておかげを受けていけるのですよ。どうぞ。